昨年の暑い日、偶然立ち寄った出汁屋さんで「冷やし出汁」をいただきました。ひんやりとした口当たりとともに、かつおや昆布の旨みがふわりと広がり、汗ばむ身体にすっと染み込むような冷たさと、驚くほど上品で澄んだ味わい。
確かに、出汁の効いたスープや味噌汁は格別に美味しい。でも、あくまでも“何かを作るための素材”であり、それ単体を味わうという発想はありませんでした。
そんな固定観念を大きく覆したのが、この「飲む出汁」との出会いでした。出汁はそれ自体が完成された一品であり、心と身体をそっと癒してくれる静かな力を持っています。
それ以来、自宅でも出汁を飲料として取り入れるようになりました。寒い日には温かい出汁で身体をじんわりと温め、暑い日には冷たい出汁で喉を潤す。また、気持ちを落ち着けたいときには、静かに一杯をすすることで、心までも整う感覚があります。
こうして出汁は、私にとって季節を問わず寄り添ってくれる、欠かせない存在になりました。温もりも、涼やかさも、やさしさも――すべてを一杯に閉じ込めた「飲む出汁」。
そんな日々の癒しとなる出汁の楽しみ方、そして暑い夏にこそ味わいたい“冷やし出汁”の魅力を、ぜひ多くの人に知ってもらえたらと思います。
出汁とは? 飲む出汁の魅力と日常での取り入れ方
出汁(だし)は、日本の食文化を支えてきた“うま味”の源です。昆布やかつお節、煮干し、干し椎茸など、自然由来の素材から抽出されるエキスには、食材本来の旨みがぎゅっと凝縮されています。
うま味は、1908年に池田菊苗博士が昆布出汁から「グルタミン酸」を抽出したことで発見されました。それまでは味覚は「甘味(Sweet)・塩味(Salty)・酸味(Sour)・苦味(Bitter)」の4つとされていましたが、“これらに分類できない旨さ”があることが明らかになり、うま味(Umami)は「第5の味」として世界的に認識されるようになったのです。
下表は、出汁に使われる主な材料の分類と特徴です。
分類 | 材料名 | 主なうま味成分 | 特徴 |
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海藻🪸 | 昆布(真昆布、利尻昆布、羅臼昆布) | グルタミン酸 | まろやかで上品なうま味。出汁のベースによく使われる。 |
魚類🐟 | かつお節(荒節・枯節) | イノシン酸 | 香り高く、すっきりとした力強い味。味噌汁、めんつゆに定番。 |
魚類🐟 | 煮干し(片口イワシ) | イノシン酸+苦味成分 | 味に奥行きがあり、家庭料理に多用。えぐみが出やすいため下処理が重要。 |
魚類🐟 | うるめいわし | イノシン酸 | 煮干しよりもクセが少なく、上品でまろやか。香りがやさしい。 |
魚類🐟 | トビウオ(あご) | イノシン酸+香ばしさ | 炙ることで香ばしさとコクが出る。上品で甘みのある味わい。九州で人気。 |
菌類🍄 | 干し椎茸 | グアニル酸 | しっかりしたコクと香り。昆布と合わせて精進出汁にも。 |
野菜🌱 | 玉ねぎ、セロリ、にんじん、トマト等 | グルタミン酸+自然な甘み | 野菜ブロスとして洋風のスープにも合う。 |
通常は料理の土台として使われる出汁ですが、実はそのまま飲んでも美味しい健康飲料です。
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胃腸にやさしく、体にすっと染み渡る
出汁には脂肪や糖分がほとんど含まれておらず、胃腸への負担がとても少ないのが特徴です。食欲がないときや体調が優れないときでも、出汁のやさしい味わいなら無理なく体に取り入れることができます。
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朝の目覚めに、出汁の一杯を
目覚めたばかりの体に、温かい出汁を一杯。体がじんわりと温まり、内臓がゆっくり目を覚ましていくような感覚があります。コーヒーやお茶の代わりに出汁を飲むことで、胃を荒らさず、やさしく一日をスタートさせることができます。
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栄養と水分を同時に補給
出汁にはアミノ酸(グルタミン酸、イノシン酸など)をはじめ、ミネラルや微量のタンパク質が含まれており、水分と一緒に体に必要な栄養を手軽に補給できます。とくに夏場は、冷たい飲み物に偏りがちな中で、うま味を含んだ「飲む出汁」は水分補給の質を高めてくれる頼もしい存在です。また、出汁に梅干しを加えることで、さっぱりとした風味とともに、汗で失われがちな塩分も自然に補えます。
飲む出汁に向いている素材・そうでない素材とは?
飲む出汁として楽しむには、素材選びがとても重要です。すべての出汁がそのまま「飲む」用途に最適というわけではなく、素材によっては香りや苦味が強く出てしまうこともあります。また、温かく飲むのか、冷たく飲むのかによっても、向き・不向きがあります。
◎ 飲む出汁に向いている素材
昆布やかつお節、うるめいわし、野菜を使った出汁は、雑味が少なく後味もすっきりしており、飲む出汁として非常に優秀です。香りが穏やかでクセがない素材は、冷たくしても温かくしても飲みやすい仕上がりになります。
素材 | 飲料適温 | 特徴 |
---|---|---|
昆布 | 冷・温 | 上品で透明感のあるうま味。冷やしても雑味が出にくく、清涼感がある。 |
かつお節 | 冷・温 | 香りが高く、すっきりとした軽やかな風味。温冷どちらでも◎。 |
うるめいわし | 冷・温 | クセが少なく、まろやかでやさしい味わい。出汁初心者にもおすすめ。 |
野菜出汁 | 冷・温 | 自然な甘みと旨味があり、体にやさしい印象。冷製スープのようにも楽しめる。 |
△ 飲む出汁としてはややクセが強い素材
煮干しや干し椎茸、トビウオ(あご)などは、出汁素材としては非常に優秀ですが、そのまま飲む場合は香りやコクが強く出やすいため、少し工夫が必要です。
素材 | 飲料適温 | 特徴 |
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煮干し(片口イワシ) | 温 | 苦味やえぐみが出やすい。頭と内臓を取り除き、薄めて温めるとまろやか。 |
干し椎茸 | 温 | 温かいと深みのある香りと旨味が、冷たいと香りが立ちすぎる。 |
トビウオ(あご) | 温 | 炙りの香ばしさが冷たいと渋みに。温かいと香ばしさが調和する。 |
温かい出汁 vs 冷たい出汁の楽しみ方
温かい出汁は、身体を内側から温めてくれるだけでなく、香りの立ち方もうま味の広がりも豊かになります。 特に椎茸や煮干しのような香りが特徴的な素材は、温かくすることでその力がより引き出されます。
一方で、冷たい出汁は夏場の水分補給や、すっきりした飲み口を楽しみたいときにぴったりです。昆布やかつお節、野菜出汁のように雑味が少なく軽やかな素材は、冷やすことで清涼感が増し、ぐっと飲みやすくなります。
素材と温度で、出汁の印象はがらりと変わる
出汁は「飲む温度」と「素材の個性」によって、まったく違った表情を見せてくれます。気分や体調、季節に合わせて、飲みたい出汁を選ぶこと――それもまた、出汁の楽しみ方のひとつです。
たとえば、暑い日は冷たい昆布出汁に梅干しを落として爽やかに。寒い朝には椎茸と昆布の合わせ出汁で、じんわり身体を温める。
そんなふうに、日々の一杯を季節に寄り添わせるのもおすすめです。
クセの強い素材を「冷やし出汁」として楽しむための工夫
煮干しや干し椎茸、トビウオ(あご)などは、香りやコクが豊かな分、そのまま冷やして飲むと渋みやクセが前に出やすい傾向があります。冷やし出汁として美味しく飲むには、ひと手間かけてやさしい味わいに整えるのがおすすめです。
煮干し(片口イワシ)
- 頭とはらわたを取る(苦味の原因を取り除く)
- 水出しでゆっくり抽出(冷水に6〜8時間漬けるとえぐみが出にくい)
- 昆布と合わせてマイルドに
- 薄めに仕上げる(濃くすると渋みが出やすい)
干し椎茸
- 冷水でじっくり戻す(一晩かけて抽出することで香りが穏やかに)
- 昆布と合わせて調和をとる
- 少量ずつ使う(椎茸だけだと香りが立ちすぎることがある)
トビウオ(あご)
- 焼きの香ばしさが冷たいと強く出るため、薄めに抽出
- 昆布とブレンドしてまろやかさを加える
- 梅干しや柑橘類(すだち、レモン)を加えて清涼感をプラス
- 冷蔵庫でしっかり冷やして、キリッと引き締める
ワンポイント アドバイス
クセのある素材は「単体で濃く出す」よりも、「他の素材と合わせて軽く仕上げる」ことで、冷やしても飲みやすいバランスに整います。
手軽に楽しめる!おすすめの出汁パック
「出汁を自分で取るのは少しハードルが高い…」という方には、市販の出汁パックがとても便利です。パックを水に入れるだけで、自然素材のうま味がじんわりと引き出され、手間なく本格的な味わいが楽しめます。
冷水に数時間つけておくだけでも出汁がとれるため、冷やし出汁づくりにもぴったり。暑い季節には、前日の夜に仕込んで冷蔵庫に入れておくだけで、翌朝すぐに爽やかな一杯が楽しめます。
以下に、いくつか出汁パックをご紹介します。
久原本家 茅乃舎(かやのや)だし
- 素材:焼きあご、かつお節、昆布、うるめいわしなど
- 特徴:風味のバランスが非常に良く、香り豊かで味に深みがある
- ポイント:少し高価ですが、プロの料理人にも愛用される安定のクオリティ
- おすすめの飲み方:冷水出汁でも香り高く、上品な冷やし出汁に
茅乃舎 野菜だし(コンソメ風味)
- 素材:玉ねぎ、にんじん、セロリ、キャベツなど(すべて国産)
- 特徴:動物性素材を使わないのに、驚くほどコク深く洋風コンソメのような味わい
- ポイント:和風にも洋風にも合い、冷製スープ風の冷やし出汁にも最適
- おすすめの飲み方:トマトやきゅうりを加えて、食べる冷やし出汁にもアレンジ可能
無印良品「素材を生かした だしパック」
- 素材:かつお節、昆布、煮干しなど
- 特徴:化学調味料・保存料不使用で、クセが少なく自然な味わい
- ポイント:価格も手頃で、日常的に使いやすいのが魅力
- おすすめの飲み方:野菜と合わせて、よりやさしい出汁に仕上げるのも◎
手軽さと味わい、どちらも叶える選択肢
出汁パックを使えば、出汁を取る手間を省きながらも、素材本来のうま味をしっかり感じられるのが嬉しいポイントです。 冷水に数時間つけるだけでも十分に味が出るため、忙しい朝や疲れた夜にもぴったり。味に慣れてきたら、出汁パックをブレンドしてみるのもおすすめです。
商品名 | 冷し出汁適正 | コメント |
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久原本家 茅乃舎 だし | ◎ | 公式には煮出しが基本とされていますが、水出しでも3~4時間程度でしっかりとした旨みが出ます。特に昆布・かつお節・うるめいわしの相乗効果が効いています。冷蔵庫でゆっくり抽出するのがおすすめ。 |
茅乃舎 野菜だし | ◯ | 玉ねぎ・セロリなどの野菜素材は水出し可能ですが、加熱した方がコクが出やすい。冷水抽出でも3〜6時間ほど置けばほんのり甘みと香味が出てきます。煮出してから冷した方が冷製スープとして楽しめる。 |
無印良品 「だしパック」 | ◎ | かつお・昆布・煮干しベースのため、水出しでも旨みがしっかり出ます。3〜5時間ほど冷蔵庫で抽出すれば、クセのない飲みやすい出汁に仕上がります。手頃で試しやすいのも魅力。 |
上で紹介した、いずれの出汁パックも、冷蔵庫で数時間置くだけで飲める程度の味が出ます。特に茅乃舎の和風だしや無印のパックは水出しに向いており、しっかりとうま味が抽出されます。
「茅乃舎 野菜だし」は、ほぼコンソメスープです。煮出してから冷蔵庫で冷やすと冷製スープとして美味しく飲めます。
自分で作る、冷やし出汁のすすめ
市販の出汁パックも便利ですが、素材の味をじっくり感じたいなら、自分で出汁を取る時間もまた格別です。 とくに冷やし出汁は、水に素材を浸けておくだけのシンプルな方法でもしっかり味が出るため、初めての方にもおすすめです。
昆布+かつお節のシンプル水出しレシピ
最も基本的で失敗しにくいのが、昆布とかつお節の合わせ出汁。冷水でゆっくり抽出することで、雑味のない、まろやかで上品なうま味が引き出されます。
材 料✔ 昆布 … 5〜8g(10cm角ほど)
✔ かつお節 … 10g
作り方
✔ かつお節を加え、さらに15〜30分浸ける
✔ ペーパーやキッチン用フィルターで濾せば完成
→ 昆布だけで作ればさらにあっさりとした味わいに。朝や水分補給用にもおすすめです。
→ かつお節を加えるとグルタミン酸(昆布)+グアニル酸(干し椎茸)+イノシン酸(削り節)で、うま味の相乗効果が最大限になり、味わい豊かな風味になります。
干し椎茸と昆布を使った冷やし出汁のコツ
干し椎茸は、グアニル酸による深いコクと独特の香りが特徴の出汁素材です。冷やして飲む場合は、香りが立ちすぎないよう水でじっくり戻してから使うのがポイントです。
材 料✔ 昆布 … 約5g(10cm角ほど)
✔ 干し椎茸 … 1〜2枚(スライスでも可)
作り方
✔ 冷蔵庫で一晩(6〜8時間)ゆっくりと抽出
✔ 椎茸と昆布を取り出し、ペーパーなどで軽く濾して完成
→ 柑橘や梅干しを加えると、香りに変化が出て清涼感がアップ
アレンジで広がる、夏の冷やし出汁
冷やし出汁の良さは、自分の好みに合わせて自由にアレンジできるところにもあります。 素材を変えたり、トッピングを加えることで、毎日の一杯にバリエーションをつけられます。
夏らしいアレンジ例✔ 梅干しを加える:塩分補給とアクセントに
✔ トマトやきゅうりのスライスを入れる:見た目も涼しげで、栄養もプラス
✔ 千切り生姜:ピリッとした辛味と香りがアクセントに。身体を冷やしすぎず、後味も引き締まる。
✔ 氷を浮かべる:キリッと冷やして飲むと、暑い日の体に染み渡る
自分で作るからこそ味わえる、一杯の豊かさ
好みの素材を選び、時間をかけて抽出する。その過程もまた、出汁を飲む楽しみのひとつです。お気に入りのボトルに冷やし出汁を仕込んでおけば、暑い日も、心と体をやさしく整える一杯に出会えるはずです。
出汁の健康効果を科学で見る ― 食欲・血糖値・心への作用
最近では、出汁の「おいしさ」だけでなく、健康や美容のサポートとしての効果にも注目が集まっています。 日本経済新聞・日経スタイル「女性にうれしい「だし」ダイエット効果や冷え改善も」 では、以下のような効能が紹介されていました。
この記事では、出汁に含まれるうま味成分(グルタミン酸やイノシン酸など)がもたらす以下の効果が取り上げられています:
効果 | 内容 |
---|---|
満腹感の促進 | 出汁を飲むことで脳が「満足した」と感じやすく、食べすぎを防ぐ手助けに |
血糖値の抑制 | 食前に出汁を飲むことで、血糖値の急上昇を抑える「セカンドミール効果」が期待できる |
冷えの改善 | 温かい出汁は内臓をやさしく温め、冷えやすい体質の人にも効果的 |
間食の予防 | 空腹時に低カロリーで満足感のある出汁を飲むことで、無意識な間食を防ぐ習慣に |
大学研究から見た“うま味の力”――近畿大学の実験結果より
近畿大学農学部(奈良キャンパス)でも、かつお出汁に含まれるうま味成分が脳と身体に与える作用を研究しています。 「おいしさとは何か。かつおだしの健康機能から見えてくるおいしさの正体」 では、以下のような観察結果が報告されています。
- 出汁を飲んだ被験者は、そうでない人よりも食後の満腹感が高い
- 同じ献立でも、食前に出汁を飲んだ方が摂取カロリーが低下する
- 血糖値の変化が緩やかになり、身体への負担が軽減される
さらに、かつお出汁には次のような多彩な生理作用も期待されているそうです。
- 疲労回復・高血圧抑制
- 胃の動きを助け、唾液の分泌を促進
- 満腹感の持続・脂肪摂取の抑制
- 脳の活性化・ストレス軽減・抗うつ効果
体にも、心にも良い効果があるかつお出汁は万能薬です。
毎日の“ちょっと出汁習慣”で、心と体を整える
忙しい朝や、間食しそうな夕方。そんなときに温かい出汁を一杯飲むだけで、食事のコントロールや体調管理につながります。
とくに夏は冷たい出汁にして、さっぱりと水分・ミネラル・うま味をまとめて補給。手軽で、体にやさしくて、しかもおいしい。そんな出汁はまさに、味方になってくれる“飲む健康習慣”です。
忙しい朝や、間食しそうな夕方。そんなときに温かい出汁を一杯飲むだけで、食事のコントロールや体調管理につながります。特に夏場は冷やし出汁にして、水分・ミネラル・うま味を一度に摂れる“やさしい一杯”に。
手軽で、体にやさしく、しかもおいしい。そんな出汁はまさに、現代人に寄り添う“飲む健康習慣”です。
季節に寄り添う一杯として ― 出汁のある暮らし
暑い日には、キリッと冷えた出汁で身体の内側から涼やかに。寒い日には、湯気の立つ一杯で心と身体をじんわり温める。疲れているとき、忙しいとき、少し気持ちを整えたいときにも、出汁のやさしさがそっと背中を押してくれます。
市販の出汁パックは手軽で便利、しかもとても美味しい。でも、素材を選び、ゆっくりと抽出する自家製の冷やし出汁には、また違った味わいと愛着があります。そのどちらも、“飲む出汁”というシンプルな習慣が持つ奥深さと豊かさを教えてくれました。
あなたの暮らしの中にも、ぜひ一杯の出汁を。
きっと、新しい美味しさと、ささやかな心地よさに出会えるはずです。