「サステナビリティー」は本当は誰のためか?
日経ビジネスオンラインの記事に
【記事引用】
これらの諸問題は、世界にはびこるノシズム(集団のエゴイズム=エゴイズムの複数形)が生み出しているものではなかろうか。
という記述がありました。ノシズムとは初めて見る単語です。
ノシズム(nosism)
A.Word.A.Dayにノシズムの単語の意味が記載されていました。【記事引用】
nosism (NO-siz-em) noun
The use of 'we' in referring to oneself.
[From Latin nos (we).]
As it's often used by editors, it's also known as the "editorial we". It's also called "the royal we" owing to its frequent use by royalty.
自分自身を指すときに「私たち」を使うこと、語源は我々(We)の意味のラテン語 nos とあります。日経ビジネスオンラインの記事にあるように ego はラテン語の私(I)です。つまり集団のエゴイズムという解釈になります。
EGOといえば、高橋幸宏のアルバムのE.G.Oですね。ビートルズのカバーである「Tommorow Never Knows」がオープニング曲です。2曲目の「Look of Love」では、Nokkoのバックコーラスが話題となりましたが、個人的には、鈴木慶一が詞を書いている8曲目の「Left Bank」が好きです。
向こう岸は、君と住んでいたところ。
左岸を風に向かって僕は歩く。君を忘れながら。
最強の敵は自分の中にいる。
最高の神も 自分の中にいるはず...
閑話休題...
集団のエゴイズム=我々主義
何となく分かったような気もしますが、集団のエゴイズムとはどういう意味でしょうか。 もう少しネットで調べてみました。「マクドナルドとノスィズム」の中にノシズム(原文では、ノスィズム。発音に忠実に記載されているのだと思います)の説明がありました。
【記事引用】
ラテン語の”nos”=「我々」という意味の言葉にイズムが付いている。エゴイズムという日本語は、ラテン語の「我」を意味する”ego”にイズムが付いている。
要するに、我々主義。ある集団の「内部的な価値観」だけを共有して行動をしてしまう主義。
このことを自身の仕事に置き換えて考えてみると、類似する価値観の人間が集まる内部集団で議論をしていると、その集団の中でのご都合主義に陥りやすいということになります。つまりクライアント向けの企画を検討しているのに、客先のことを考えずに自分たちの理論で構成してしまう。ありがちな展開です。